「最期の禱り」
12月24日にガルクラvol7が自宅に届きました。DVDもこれで最終巻という事で、関係者の皆様完走おめでとうございます。ガルクラのDVDには最新曲が1つ収録されているのですが、今回の曲は「最期の禱り」。聴いてみて色々思うところがあったので、その想いを書き綴りたいと思います。
あくまで私個人の感想なので、その点はご了承くださいませ。
とにかく歌詞が暗いw
まさかクリスマスイブにこんな憂鬱になるとは夢にも思っていませんでした。
「運命の華」を聞いた時にも思ったのですが、曲調がトゲトゲっぽくないなと。ただ、「運命の華」のときはこれからの期待感が曲に反映されてアップテンポな曲に仕上がっていましたが、今回は壮大な曲調と暗い歌詞。曲調と歌詞の方向性が反対なんですよね。この点が気になったので、深掘りしていこうかと思います。
曲調と歌詞の方向性の違い
君に届かない理由
・君の考えが変わってしまった
・君がいなくなってしまった
・君が何かを決心した
など思いついたのですが、どれもしっくりきませんでした。そのまま歌詞を読み進めると別の理由の可能性が浮上してきました。
居場所がない理由
「この手で破り捨てた」という歌詞からから自分で辞めることを選んだのだと分かります。この作詞者の視点が桃香だと仮定すると、作中で桃香に着いていくと決めたメンバー全員で辞めることを選んだ事になります。つまり、トゲトゲは解散してしまうのではないかと考えました。ここで先ほど考えていた君に届かない理由が分かってきました。
「どんな言葉も 君に届かないのなら」の歌詞の「言葉」は歌の歌詞を指しており、「君に届かない」とはバンドがなくなってしまえば、もう私の書いた詞を君が歌うことはないんだという意味なのではないかと考えました。
君に届かない理由はだんだん分かってきたですが、いまだ曲調と歌詞の方向性の違いがピンときません。次は禱りについて深堀していきます。
祈りと禱り
・祈りはデフォルメされたアニメを指しており、禱りは複雑な現実世界を指している。
どちらも画数で複雑さを表現しており、反対に「祈り」はシンプルさやデフォルメを表していると考えました。どちらが適切か考える為には歌詞に注目すると自然と絞れました。
「虚しく響け 最期の禱 なんでもないよ ふざけてみたの」のところなんですが、ここちょっと異色というか曲の中で浮いているですよね。最初は「ふざけてみたの」ところが、今までの自分がやってきた事に対してふざけてただけだよという意味と思っていました(そんな事言わないでほしいけど)。ですが、祈りがデフォルメされたアニメと考えると、禱りは現実を指しています。「最後の禱り」が現実世界に向けたものととらえると、アニメの世界には届かないので虚しく響くだけとなり、歌詞の「虚しく響け 最後の禱り」と意味が合います。ここで「なんでもないよ ふざけてみたの」の歌詞はアニメからこちらの世界に語りかけたメタ的な発言なのかもしれないと思いました。これなら曲の中で浮いているフレーズだった事に納得がいきます。
ここまできて、曲調と歌詞の方向性の違いについて考えてみると答えが出てきました。
この曲は最後に届いてほしいという前向きな禱りの曲。解散は決まっているけど、自分たちの曲が届いてほしい、通用してほしいという気持ちの強さが曲調を示しており、歌詞は現実を表している。この曲調は最終到着地点であり、トゲトゲがやりたかった音楽そのものであり、現実と気持ちのギャップを歌詞と曲調で表現している。
という結論に至りました。曲調は気持ちの強さを表しているから壮大なんだなと。歌詞は現実を表現しているからどこか寂しいんだなと。
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